今週の半ば過ぎ、私は壊れた。簡潔にいうと自分ができる許容範囲を超えてしまったのだ。この最近、休みという休みもない忙しい毎日を過ごしていた。限界に近づいてきているのを分かっていたのだが、周りは待ってはくれない。
自分の勝手で毎日をただただ、こなしていくというのでは駄目なのだと心に誓い(忙しいと目の前の物しか見えなくなり、本来自分が求めている色んな面でのクオリティーというモノを忘れがちになるから)、クリ子に私がただただ毎日をこなしていくような生活をしてるように見えたら、その時は、”Oyumichenが本来求めていたことがこの最近忘れられがちになってない?”と忠告してくれ・・と頼んでいた。彼が一番私のことをちゃんと見ていてくれている人だから彼ならそれがすぐわかると思ったから。身内が気づいてくれず、外の人から忠告を受けた時にはすでに遅いのだと思っている私。その時は私という人を求めてきてくれた人が離れていく時。
毎日が目まぐるしく動いていく中で自分の信念を持ちつづける、そしてそれを保ち続ける。それはある意味すごいプレッシャーなのだ。
それが、色んなことがいっぱいいっぱいになり、ついに私は壊れた。木曜日の晩、彼の料理を作りながらいきなり涙がポロポロと出てきた。自分がこなせる許容オーバーをしていたのもあるが、きっかけは分かっているのだ。言いたいことがうまいことドイツ語で言えない腹立たしさ、そしてやっぱり自分が外国人なのだということ・・そこでわからなくなってしまったのだ。料理を作り終えて食事を摂っている間も声にもならない。ただただ涙が静かに滴り落ちていくのだ。
普通ならそんな時、一緒に食事をしている人が”どうしたの??”と聞いてくるだろう。だけど我が家では決してそうではない。私が涙を流して一人でポロポロ泣いていてもクリ子は今まで一度として”何があったの?どうしたの??”とは聞いてこない。見て見ぬふりとはこのことだろう。一緒のテーブルで一人は涙を流してご飯を食べている。その横でもう一人はそれが見えないかのように、陽気な話や一人芝居をしていかにも楽しそうにご飯を食べている。傍からみるととても滑稽な風景に見えるだろう。
だけどそれが彼のフォローの仕方なのだ。決して同情などはしない。”どうしたの?”という言葉さえない。彼は私の泣き顔をみてひたすら元気を出さす為に明るい話をしつづけるのだ。彼はわかっているのだ。同情しても解決しないのを。それなら私がひっかかってるところの問題を解決できるように、また私にエネルギーを与えるのだ~!と。だから楽しい、明るい話をし、気分転換をさせ、どうにかして笑わせる。それが彼の方法。何があったか一切きかない。ひたすら彼は私にいつも”大丈夫さ~”というのだ。
“大丈夫さ~!”ってそれはアンタの心であって私にはアナタの心はわからない。私は大丈夫じゃないの~!!と言っても、”だけどOyumichenは大丈夫なのさぁ~!”と言いつづける。そんな彼にポロポロ泣きながら”クリ子は私のこと強い人間やと思ってるやろ~!!”と聞くと、こんなに壊れて駄目になって泣いている私に向かって”うん!!思ってる!!だってOyumichenは強いもん!”と言い切るのだ。
こうやって同情もしてもらえない。何があったかも聞こうともしない。そしてどんなことがあっても強い女だと思っているクリ子。彼の私に対する対処の仕方はその時は”なんで、わかってくれへんの!なんで突き放した態度なんよ!”と思うのだが、だけどこういう彼の対処法が私にとって早く立ち直る方法なのかもしれない。誰も助けてくれないし、同情もしてくれない・・なら立ち直るしかないのさ!
クリ子の考えはこうだ。同情したって、問題が解決されるわけじゃない。同情して何日も落ち込んでるぐらいなら、勇気づけて、元気を出させてまた問題に立ち向かっていけ~その為に僕は力になるよ!ってことなんだと思う。本当に駄目な時はすぐ救ってあげるから、それまでは自分の力で頑張りなさい!ということ。
こんな彼のお陰でひたすら誰にも相手にされず出すだけの涙をだして、その後はクリ子のおちゃらけキャラに思わず笑い、私はクリ子の作戦に負け、笑い、すべてがこわばっていた自分が少しずつほぐれていき、次の日からすっきりとまた元気になったのでした。
だけどそんなクリ子は突き放すだけではなく、ちゃんと次の日には違うフォローがありました。今日の晩はOyumichenが食べたいものを食べに行こう!と。魚介類が食べたかったので気分転換のできる(現実逃避できる?)エレガントなイタリアレストランに行って、好きなもの食べて、その晩は私がしたいようにさせてくれて、そのお陰で今はもうすっかり元気。(レストランの話はまた後日・・・ )
私は彼の厳しい教育方針とその後の優しいフォローのもと?また来週から頑張るのでした!!(ご心配なく。私は元気です!!)