私が体に違和感を感じたのが、半年ほど前。今年の春のこと。腹部が痛い!もしや盲腸か、それとも神経痛か?それが一ヶ月以上続いた時、私は自分で確信した。ははぁ~ん、これは筋腫だなと。
そしてお医者さんに電話をして、きっと筋腫ができてるので内視鏡でみてください・・・とお願いしたことから今回の手術劇は始まった。
検査の結果はやはり筋腫。本当ならとらなくてもいいものだが、その筋腫が神経を圧迫して絶えず痛い。そして将来のことも考えて今回取る事にしたのだ。手術の際に、もし他にも筋腫や切り取った方がいいと思われるものが見つかった時は切り取りますか?という書類にYesとサインした私は、手術後、こんなにもいっぱい色んなところを切り取られてるとは思ってもいなかった。
朝の8時半過ぎに手術室に向けて部屋を出てから、およそ6時間後の14時過ぎに部屋に戻ってきた私は、両手にいっぱい器具をつけられ、なんだか見るも痛々しい姿。一日半ぶりに会うクリ子は、私の変わり果てた姿にたじろぎ、ただ見てるだけ。何をどうしたらいいのかわからないらしく、ボ~としてるので、そんなんだったら仕事に戻っていいよ・・・というとさっさと会社に戻っていった薄情な奴。というか、一人にさせてほしかった。人に気を遣う余裕などなく、だけど誰かが側にいてくれたら、気を遣って何か喋らなくちゃ!とか考えてしまう性格なので、とりあえず何も考えなくていい環境にしてほしかった。
しばらく目をつぶって苦しんでいると、おいおい、なんだかすすり泣きが聞こえてくるではないか!うっすらを目を開けて見てみると、お隣の患者さんのご両親が、私を見て、”可哀想だ!こんなに苦しんでいるのに、彼女は一人で頑張っている。誰もそばについてくれる人がいず、一人で苦しんでるなんて、なんて可哀想なんだ!”と涙を流しているではないか。
いやいや、そんな風に哀れまれては、なんだかこっちが惨めになるではないか!私は自分で好んでこの日は一人にしてもらったのさ。手術が終わったらすぐに病院に行くからね!と言ってくれたウリの言葉を断ったのは私なんだからさ。だけど、不思議。泣かれるとなんだか自分が哀れに見えてくる・・・・
手術後は次の日の朝までベットから動くことなどできず、もう一日以上も飲んでいない水分も、その日は飲ませてもらえず、ただ綿棒に含ませた水分を唇に塗るだけしか許されなかった。
やっと2日ぶりにご飯に出会えたかと思うと、いきなりほうれん草のニョッキにホワイトソースがけとあま~いクリームケーキが出てきた時には驚いた。え!今までお水を飲む事も許されなかったのに、いきなりこの料理ですか?こんなの食べて胃がびっくりしないのだろうか?っていうかこんなヘビーなご飯、まだ食べられません!!!
何がしんどかったか?と言われると、お腹のあたりを切ってるので、喋るにしてもちょっと姿勢を変えるにしてもお腹の筋肉を使うらしく、そこが痛い。手術して3日はまともに立って歩く事もできず、めまいもひどかった。同じ日に手術した人達は、普通に歩いているのに、何故自分だけがこんなに回復が遅いのだ?というか痛々しい感じがするのだ??なんて焦ったが、主治医の先生は手術後に一回顔を出しただけで、後はお目見えにはらならない。
手術はどうだったのか?患部はどうだったのか?しいて言えば、手術が成功したのか?も教えてもらえない。それはすべて今度改めて、お話し合いを持つという。
なんでさ、みんなは手術は成功しました~!なんて言われてるのに、なんで私だけそんな意味ありげな言い方なん??
結局、主治医の先生とお話が出来たのは退院の日。話によると、私の筋腫のあった場所は大変、やっかいなところで、始めの手術方法(お腹の4点を切り、そこに空気をいれて手術する方法)では無理そうだったので、開腹手術に切り替えようかとなったが、一応、ギリギリでどうにかそれをせずにすんだ。だけどその分、体の中の壁を傷つけている可能性がある。そして開けてみたら、もう一つ筋腫が見つかり、それも取り除いた。そして内壁にも痛みにつながるものを見つけたので、それもすべて取り除いた。アナタの今、患部はすべて疑いのあるものは取り除かれたが、その分、広範囲に渡って今、穴が空いていると言っていい状態だ。だから普通の人よりも痛みや回復が遅い。まだこれはしばらく続くだろう・・などなど。
そうでしたか、だから私、他の人達より回復が遅いわけね。なんだ、そう早く言ってくれれば焦らなかったのに。。。。
だけど手術は体力的にも精神的にも疲れるようだ。もっと簡単に手術がすみ、社会復帰が果たせると思ったのに、えらい大変なものになってしまった。どんな手術にしても手術はやっぱり疲れるものだね。