37年の年月

先週末は両親の結婚記念日だった。普通に毎日を送ってると日にちっていうのは歳と共に気にならなくなり、今日は何日だったっけ?ってな具合だ。

その日も普通に仕事をしていた時、腑とした時に今日が23日だということに気づいた。そこで仕事の合間に両親に電話をしてみた。この日に限って出てくれたのが、珍しく父。お父さんグットJobだゼ!ここからは父と娘の会話。(Oは父。Yが私です)

Y: お父さ~ん、結婚記念日おめでとう~!!

O: え?!今日って何日やったかいなぁ・・・

Y:  1月の23日やん!!

O:  え?!そうやったっけ・・・・・・お母さ~ん、えらいこっちゃ!!今日、結婚記念日や!!(二人ともこの日のことを忘れていたらしい・・)

Y: ところでお父さん、結婚何年目??

O: お母さ~ん、一体、結婚何年目??(横で37回目という母の声が聞こえてくる・・)

O:  37回目やって~!!よう37年も続いたなぁ・・・これもひとえにお父さんのお陰や!お父さんが今まで我慢してきたからなぁ・・・

Y:  また・・そんなこと言って・・二人共が色々我慢とか助け合ってここまできたんやん。

O:  違う・・違う・・お父さんが頑張ったからやって。ほんまやって・・・お父さん、今、”えらいこっちゃ”やねん。

Y:  ”えらいこっちゃ”ってまた、大したことないことやろ??

O: 大したことあるって・・・お父さんなぁ・・この前、こけてなぁ・・手首の骨折ってん。それがなぁ・・その日、お母さんがすごく疲れてはってな、もう食事の用意するのもしんどかったから、皆で食べてきてって言われてな、中華料理を食べに行ってん。ほんでな、家でお母さん待ってはるからな、お母さんにお料理をな、お持ち帰りにしてん。ほんでな、冷めたらアカンって思ってな、一生懸命自転車でお母さんの為おもって中華料理持って帰ったらな、その道中で自転車がえんせきに乗り上げてな、コケテしもてん。

Y:  え?ほんでどうなったん??

O: どうもこうも・・手首の骨やられてな、右手三角頭巾で首から吊られててな、使えへんからな、字書くことも食事も左手でフォークで食べてるねん。これも一重にお母さんに温かい料理を持って帰ってあげようって優しい心からやから、やっぱり37年続いたんはお父さんのお陰やねん(と笑いながら言っている父)。それやのにな、さおり君(うちの姉)なんかな、自転車、飲酒運転したからコケたんや~!って言わはるねん。(きっといお酒を飲むから車をやめて自転車で食べに行ったと思われる・・・)

O: やけどな、実は料理はな、さおり君が運んではってな、お父さんは自転車で走ってただけなんやけどな。(とちょいと恥ずかしそうにいう父)

でもこの代償は大きかったようで、治るまで6週間かかるらしい。利き手である右手が一切使えないことで、不自由だろうに、父の声は至って元気。得意先を回ることもできない。車の運転もできない。食事もろくにちゃんと食べられない。だけどこの父の声の明るさには家族の愛と絆があるのだろう・・・

車通勤ができなくなった父は、毎朝、我が姉に駅まで送り迎えをしてもらっているそうな。そしてお風呂に入っても、ろくに体が洗えないので母が体を洗ってあげているそうな。冗談で、37年も続いたのはお父さんのお陰~なんて言ってられるのは、温かい家族関係がそこにあるから言えるのだろう・・・

こんな温かい家族のもとで育ったことが嬉しいし、感謝しているし、そして何よりも滅多なことがない限り、家族に会えない私からすると、こうやって電話で仲のいい自分の家族の会話が聞けるのが何より嬉しいし、安心する。

お父さん、お母さん、これからも仲良く二人で楽しい人生を歩んでいってね。私達も37年目の結婚記念日の時にはこんなジョークが軽く言えるぐらいの夫婦関係が築けたら・・・なんて思っています。その為にも私達、夫婦も助け合っていかなくては!!