ニュースでは聞いていたけれど・・・

今日からまた新しいドイツ語コースが始まった。今回、アジア人は私だけ。このクラスは本当に色んな国から生徒が集まっている。アメリカ、フランス、イタリア、スペイン、ハンガリー、スロベニア、イラク、ボスニア、そして私日本代表。皆さん、この国々を見ていかに私がやばいかがお分かりだろう。ドイツ語を学ぶに当たって日本人、中国人、韓国人はかなり不利だ。文法ができても喋りについていけないのだ。いや、ここは覚悟して一ヶ月頑張ろう。焦らず自分のペースでじっくりやっていこうと思う。

IMG_1134.jpg一人一人がこんなにも違う国から来ていると話もなかなか興味深い。いつもピックリそしてショックを受けるのが内戦がある国々から来ている人の話だ。その中でもボスニアの話はいつ聞いても心が痛む。オーストリアに今住んでいるボスニア人の大抵が国から亡命してきた人たちだ。身に危険を感じ、子供を連れどこ行きかはっきりわからないバスに最低限の物を持ち乗り込み、無事に国を出られることを願ってひたすらバスに自分の身をゆだねる。そして着いた場所がウィーンだったという話だ。

今はもう落ち着いているが内戦が酷かった時の話を聞くと今一緒に授業を受けている人がそんな経験をしてきたなど考え難いぐらい悲惨な話だ。私の知り合いのボスニア人はボスニアで学校に通っていた時、授業が終わると一目散に走って家に帰った。道中、決して止まってはいけない。何故ならが爆弾が落ちてくるからだ。彼女は帰る道中、大切な友達を爆弾で失ったそうな。そしてある時はバスに乗っているといきなりピストルを持った人がパスに乗り込んできて乗客の顔を見ておまえはバスから降りろ!おまえはバスに残っていていいなど判断していくらしい。そしてバスから下ろされた人たちは一列に並ばされる。バスに残っている乗客に外で並ばされている人たちを見ておくようにと忠告されたそうな。そして次の瞬間外に並んでいた人を襲ったのが銃撃だった。そんな残虐な目に彼女は日常茶飯事のようにあってきたのに、彼女はいつも明るかった。そして彼女の目はすごく澄んでいた。どうしてそんな目にあってきたのにあなたはそんなにいつも明るくいられるの?とよく聞いたものだ。彼女達は今オーストリアで決して豊かとはいえないが地道に働き、教養もつけ頑張っている。こういう醜い戦争はいつまで続くのだろうか?もう10年ほどオーストリアに住んでいるイラク人の知り合いはこの二年ほど国に帰れないでいる。2週間ほど前にイラクで彼女の父親が亡くなった時も彼女は最期に父親を訪ねることはできなかった。国に帰るのに自分の身の保証ができないからだ。そんな話を皆、淡々としてくれる。心の中には色んな複雑な気持ちがあるはずなのに・・・