精進努力

IMG_4661.jpg今からさかのぼること約15年、私が中学校に行っていた頃私の中学校は仏教の学校だった。授業でブッタを習い、法然上人を習い、その度にそんな話信じられへん、うそっぽぉ~、そんな話よりなんで皆が仏を信じ、敬うのかその惹かれる仏の本当の言いたい心とやらを教えてくれ!!と思ったものである。そんな冷めた私だったが、何故かその学校に入学して以来忘れなれない言葉がある。それはどこの教室に行こうが黒板の上に達筆な字で書いてあった四字熟語とでも言おうかその言葉だった。二つ書いてあったように思う。一つは”念ずれば叶う”だったと思う。これには何故かそうか・・いつも希望をもってあることを念じて努力していけばいつかそれが叶うということなんだろう・・・と中学生ながら考えた。だけど私が心惹かれたのは二つ目に書いてあった”精進努力”という言葉だった・13歳でその言葉に出会い、それ以来、私のモットーとなっている。不器用だった私。だけど精進努力すればいつかは芽が出る。頑張れば人に追いつける。そして追い越すことができるかも知れないと思いひそかに頑張ったものだ。今でも私は何かある度にこの言葉を思いだし、自分に課題を与えつづけている。

この課題というのは毎月自分に課す課題と、一年単位で考えている課題という風に私の中で二通りある。毎月の課題に対しては毎月、月の終わりに今月自分が何をしたか??振り返ってみる。そしてそれが月初めに立てた課題をこなせているか、どうかを考える。もしそれがクリアーできていなくても最近は自分を責めないようにしている。だって私にとってこの外国でそう頼るところ甘えるところがほとんどないこの国で自分を責めだすとすごいことになってしまうからだ。出来なかったことがストレスになり自分を責め、そしてドツボにはまり、誰も手を差し伸べてくれないからドツボから這い出すことができないのだ。だから私という自分の性格を考えて30年間かかって生み出したのが甘いと言われるかもしれないがやってきたことへの過程が大切で結果がもしでなかっても努力した自分を認めてやろうというものだ。そしてその課題は次の月へと持ち越される。

今の自分に何かを課せなくてはと思い、思い切って演奏会を今年入れたがこれはさてはてよかったのか??少し不安になっている今日この頃。演奏会というのはそんな簡単にできるものではない。準備に準備を重ね、そして来て頂いた方たちにも楽しんでもらわなくてはいけない。そう余裕がなければいけない。昨日、共演するバイオリンのお友達と夜遅くまで曲についてもう一度考えなおした。本当にこのプログラムでいいのだろうか??ということで二人で案を出し合い、色々と変更をした。変更してみると益々私が自分の首をしめていることに気づく。だけどここは怖いけれど頑張ろう。頑張って乗り切るぞ!!という訳で譜面をドサリともらい、譜面読みの毎日になりそうです。だけどレッスンもしなくてはいけない。18時以降は練習ができない。そして週末も練習ができない。ほんとにこれで間にあうのだろうか??そう思うともう演奏会のことで頭がいっぱいになりクリ子にドイツ語で喋るのがしんどくなってくる。そうなるとドイツ語をちゃんと考えずに話すからクリ子に理解してもらえずそしてわかってもらえないことにイライラする私。意志の疎通がしにくくなっている。これではいけぬ。まずは家庭あっての演奏会だ。ちゃんとやることはやらねば。

こんなんだからとりあえず演奏会が終わるまでは演奏会の成功に向けて頑張る事が課題かな??そう精進努力、精進努力・・・ってひつこい??