25日のクリスマスはZ家では毎年、お父さんとお母さんの子供達とのクリスマスの日と決まっている。これはクリ子のお父さんがもう何十年前からも望んで毎年、実行されているもの。24日が親族全員集まってのクリスマス。そして25日がパパ、ママの子供達だけで祝う内輪のクリスマス。
もちろん、私達は両方のクリスマスパーティーに参加しているのだが、クリ子の姉妹達は25日のパーティーだけに参加する。なので24日に会う顔と、25日にあわせる顔は違う。
25日のこの日は、クリ子の姉妹がベジタリアンなこともあり、お野菜を中心にしたお料理が食卓に並ぶ。クリ子と結婚してまだそんなにたたない私だが、このZ家のクリスマス会に参加するのはこれで7年目になるのではないだろうか?
毎年変らないここのクリスマスにはなんだかホッとさせられる。クリ子の彼女としてこの家族に迎えいれられた時、初めてのアジア人にみんな温かくも戸惑いがあったっけ?何を料理したらいいのだ?何を日本では好んで食べるんだって??
そして毎年、頑張って私用にライスや、お醤油で味付けた物などが用意された。だけど私はクリ子と付き合う前からウィーンにそれなりに長く住んでいたので、ヨーロッパ料理にも慣れていたし、オーストリアの家庭料理というものも知ってるつもりだった。
それでもZ家ではみんなが私に気を遣い、お寿司をみんなで食べに行ってくれたり、家でもアジア風味のもんを出してくれたりした。そんな風にしてみんなから大切に迎え入れてもらった私。
だけど最近、実は嫁、姑問題兼、嫁ぎ先との問題が勃発した。というもの私が爆発してしまったのだ。今から考えると私もあの時期は毎日を過ごすことが精一杯で気持ちに余裕がなかった為に、小さなことに腹を立ててしまったのだ。
実の父、母から遠く離れて生活する私は、両親に甘えることも愚痴をこぼすこともできない。それは自分でわかっていたこと。それを覚悟でクリ子と結婚したのだ。だけど、クリ子の家族と合うと、いつもクリ子の姉や、妹がお母さんに甘える姿を見て、見て見ぬ振りをしていた。クリ子の母は私を大事にしてくれている。それはわかっていた。だけど、実の娘達と嫁ではやっぱり接し方は違うのだ。それは当たり前のこと。そしてそのことはわかってるつもりだったが、あ~やって実の母に甘えられる彼女達が羨ましかったのも本音だ。でもそれをにこやかに眺めてきたつもりだった。
だけどある些細なことで私が気持ちを抑えられなくなったのだ。もともとクリ子のお母さんと姉は物をはっきり言う。普通の人なら絶対傷つくような言葉で・・・だけど彼女達には悪気はないのだ。思ったことをそのまま述べてるだけなのだ。
そしてそのことにも慣れてる私だった。いつもの私だったらね!だけどこの日の私はあまりにも余裕がなかった。クリ子の姉と挨拶をしたと同時に、いつものことながら、嫌味を言われ、心の中では聞き流すのだ・・・という気持ちとクソ~という気持ちがいつものことながらあったが、それでも言い返すだけのドイツ語も気力もなかったので、にこやかに笑って挨拶をすませた。
そして時間が経ち、その日、疲れ果てていたクリ子のお母さんが、きっと何も見えなくなっていったんだろうね。私にきつい言葉を吐いた。その場にいた者は一瞬、凍りついたような表情をし、クリ子は私をかばう為に反論した。だけどその日のお母さんは理性を失っていた。追い討ちをかけるように、また私に暴言をはいた。その時は、いつもの通り、聞き流して笑って過ごした。これ以上、私が反論してその話題になると自分が惨めになるからだ。
だけどその日、家に帰ってから私はクリ子の前で初めて声をあげて泣いた。私は人から強くみられる。だからちょっとした言葉にも傷つかないと思われ、はっきりしたことを言われる。だけど小心者で実は人の表情、言葉を凄く気にする人格なのだ。自分が強い人間と外では作り上げているせいもあるが、この日は、クリ子に”私はそんなに心広くない・・・どんなこと言われても笑って聞き流すだけの心の広さは持ってない!”と言って泣いた。
この最近、精神的に疲れていたのもあるのだろう・・・これじゃまずいと思ったくり子、初めて正面から私の話を聞き、背中をさすってくれた。
私はそれでもそのことをクリ子のお母さんに言うつもりはなかった。クリ子に”じゃあ、どうして欲しい??”と聞かれた時、私は”クリ子が私がアナタの家族と会う時の気持ちをわかってくれていたらそれでいい・・”と答えた。決して、私が今日泣いたことも、何に傷ついたかもお母さんにもお姉さんにも言わないでくれ!と頼んだ。
それなのに、クリ子は次の日にクリ子のお父さんから電話があった時に、”僕はお母さんがとった言動が許せない!僕はお母さんがそういう不注意な言動を吐くのなら、今度からアナタ達を訪ねない!”と言ってしまったのだ。あれだけコトを大きくしたくないから両親には何もいうな・・・と念を押しておいたのに。
もちろんそれはお母さんにすぐ伝わり、コトは大きくなってしまった。だけど言葉がきつくても純粋なお母さんはそれを聞いて、すぐに謝りの電話を私に入れてくれた。(生憎私は仕事で出られなく留守電に入っていたのだが・・)
自分でもわかっていたのだ。お母さんは悪気があって言った言葉じゃないってことも。言ったこともすぐ忘れるぐらい、口からつい、出てしまった言葉ってことも。だけどその時はそれが許せなく、すごく傷ついたのだ。そしてこれが嫁、姑問題かとも。
そんなギクシャクしたまま迎えたクリスマス。その前日にクリ子のママが私に電話をしてくれた。”まだ私のこと怒ってる??”。今更、そのことに触れるのもお互いを傷つけるので、私は違う話題をした。そしてそのことに対して母はちゃんと対応をしてくれた。そして普通に電話をし、二人とも気持ちがほぐれたのか、お母さんの嬉しいそうに、電話を切るときの”チュース!”というバイバイの言葉にあたる言葉にお母さんを私も苦しめていたんだ・・あんなに嬉しそうに電話を切っていくお母さんを初めて感じた。
だからこそ、今回の家族のクリスマス会には出席したかった。仲直りをした印に。だけど生憎、私はインフルエンザーにかかりこの2日とも参加できなかった。でもその気持ちを一番、わかっていてくれたのはお母さんだった。”頑張りすぎたんだよ~。こんな日ぐらい何も気にせず、家でゆっくり休みなさい。アナタは今、自分を大切にすることが一番。クリスマス会に来れなくても私は怒らないし、責めない。だからゆっくり体を休めなさい!”と私にとっては嬉しい言葉をもらい、なんとも言えない気持ちになった。
何があっても行こうと思っていた、クリスマス。だけどインフルエンザーとなるとそうもいかない。じっと家で我慢するしかない。だけどそんな私に、クリ子のお母さんは毎日、クリ子に喉にいいから・・・、熱に効くからと・・いろんな物を持たせてくれた。そして今日も大丈夫??と電話をくれた。
もうこれでいいじゃない?!って自分で思った。私はあのお母さんが大好きだ。ただ、たまに言葉が過ぎるだけなのだ。だけどそれは私も気にしてやしないさ!(普段ならね!)お互い、あの時はちょっとおかしかったんだよ。お互い忙しすぎたんんだよ!ってね。
それがお互い心の底から信じられてわかれた時、また仲よく、来年を迎えられることが何より嬉しい。
クリスマスを一緒に過ごせない私に、家族みんながそれぞれ用意してくれた私へのプレゼント。そこに年月と共に、私という人物の内面をわかってそれぞれが用意してくれてる、それぞれの想いのこもったプレゼントに心が熱くなった夜。
今年はZ家のクリスマスに参加できなかったけど、何か大きなものを掴んだクリスマスでした。 (ってクリスマスはまだ終わらない??)