この2,3日暑くて暑くてちょいと外に出ただけで頭が痛くなり体もだるい。体が疲れている上にこの暑さでクリ子も私もちょいとこの暑さにやられ気味だ。
街では今からクロアチアとトルコのサッカーの戦いが熱く繰り広げられ、街中すごい熱気に包まれているのだが、私達はもう駄目。今日はゆっくりと冷えたロゼでも飲んでのんびりとします。
明日も朝一番から仕事だしね、その後はクレムスまで用事に半日出かけなくちゃいけないし・・明日も長い日になりそうだ!
オーストリアでは学業にしても仕事にしても一年の年度始まりが9月に始まり、6月に終わる。学年末になる今の時期は何かとテストや行事が多くなることが多い。
私にとってもこの一年は随分変化にとんだ年だった。そして昨日、私自身にとってもそれに関わった人にとってもこの一年の集大成の場となった。それは私のもとで今年一年学んだことを、そして私が教えてきたことが評価される場でもあった。
本当は発表会などするつもりはなかった。逃げられるものなら逃げてやりたくなかった。だけど何人かの生徒のご両親から是非やって欲しいと願望され、確かに生徒の為にも自分の為にも大変だけどやった方が力になると思いこの4ヶ月ほど、ホール探しから経費、そして生徒との曲作り。すべてが私にとってほぼ未経験のことだった。初めに躓いたのが会場決めだった。思うような会場が見つからず、色んなところに電話しまくり、会場、そしてピアノの具合などを見に行きよければ値段交渉をするのだがこれがなかなか折り合いがつかない。来年からはどこの会場がどれぐらいのピアノが入っていてどれぐらいの値段で・・という知識とデーターがあるから楽になると思うが今年は正直、どれだけホール探しに足を運んだことか。

発表会が近づくにあたっていろんな生徒がいた。こちらがもう少し上のことを、そしてちょっと厳しくなると”もうピアノのなんか弾きたくない・・・”としくしく泣き出す子達がちらほら。この子達を一生懸命のせ演奏会まで持っていく。ここでしんどかったのがやっぱりドイツ語だった。ピアノを教える技術はある。だけど気持ちなどのフォローをする時のその場、その場にあった的確な言葉というのがどうも自分で伝えられてないような気がし、日本人はもともと声が高いのに、それ以上に高い声を持つ私のドイツ語というのはあまり威厳などがないように思い、時には舐められているかと思ったこともあった。
だけど演奏会では今年、ピアノを始めた子も多く発表会ということに出たことも初めてだった生徒が多い中、みんな舞台で踏ん張りそして皆、私のことを信頼しついてきてくれているのが伝わってきた。
今回、私が教えている生徒のおよそ半分にあたる13人が今回舞台に出たくれたのだが皆よく頑張ったよ。彼ら彼女達がもつ力を全部出してくれたのではないかと思う。そして何より嬉しかったのが、演奏した生徒達が皆満足した顔で私にこんな場を作ってくれてありがとう~!と言いにきてくれたことだ。そして来てくださったお客様もすばらしい演奏会をありがとう!と言ってくださった。発表会ではなくあれは演奏会だったと。その言葉は教える者にとってはすごく嬉しい意味をもつものだった。
この一週間ほど、この発表会のことだけでなく色んなことでどたばたと忙しく、毎日休む暇もなく正直苦しかった。クリ子も会社が忙しく昼食を食べる時間がなく、疲れとストレスでどんどん胃かが小さくなっているのがわかった。なのでどんなに大変でも晩はクリ子の為にバランスと栄養が摂れた料理を作り、二人で乗り越えてきた。それでも彼は私の犠牲になってくれてたことも多かっただろう・・それなのに、演奏会では私以上に生徒がいい演奏をしてくれると嬉しそうだったのがクリ子だった。今回演奏会をして見えたこと、いい面でも悪い面でも色んなことがはっきりと明確に見えた。これを活かし来年の自分の指導に役立てていきたい。
長い長い地下の洞穴の通路を歩いていったその後に出会ったものは・・・それは地下の世界に広がる湖。
この湖は自然に出来たものでない。昔オーストリア人がギブス(骨を折った時に固定する為に使うアレ)を求めてここを掘った。その昔、オーストリアの農家ではギブスに含まれる飼料を水薄めて田畑に撒いていた。土を肥やす為、ギブスが必要だった訳だ。(日本人の発想からギブスを想像するとなかなか土壌を肥やす飼料になるとは想像がつかないが・・・)
そんな訳でオーストリア人は来る日も来る日もここを掘ってギブスの採掘した。年月をかけて広範囲にあたって岩石を掘っていくうちにある時、水が湧き出た。水が湧き出てきては仕事が出来ぬとその後、ここはギブスを採取するにあたって立ち入り禁止となった。
そして年月と共に、ある人物がここにフラ~と入っていってみるとギブス採掘の為に彫られた穴に水が貯まっているではないか!その人物はその地下の湖の素晴らしさをどうにか人々に伝えられないだろうか?と考え、この地が人々に公開されることになったのだ。(これらは当時使われていた灯りや道具。160年前の地下道を掘るにはロウソクの火しかなかった。そこを毎日すごい人数の労働者と馬がせっせと暗闇の中仕事をしたのである)
ここは言わば人によってその時代の人々が生活する為に必要な物を求めて人口的に掘られ、その後時間ともに自然によってもたらされた人間と自然との融合によって出来上がった結晶なのである。
こんなものがウィーンの郊外にあったとはね、知らなかった。地下鉄の広告を何気なくみて行ってみたくなった所、クリ子に聞けばオーストリアの学校に行っていれば小学校に行っている間に野外活動として必ずいくところらしい。だけど外国人の私にとってみるとガイドブックに載せるほど有名じゃないけれど、だけどこれはオーストリアの歴史上、かなり興味のある場所で私にとっては発見だった。