私は空気という言葉に何故かこだわっている。最初の一歩、家から外に出た時に感じる空気の香り。キンキンにはったような冷たい空気。ある時は自分を包み込んでくれそうなそんな暖かい春の優しい空気。
ある時は日本語にはその場に流れる空気を感じ取り(雰囲気)その場にあった対処をする。日本人はその場の空気を読み取るのがとっても上手だ。他にも”空気”という言葉には色んな意味があり、そしてそれは感じ取る者によってまた意味が変わってくる。
そして”空気”は”時(とき)”を作り”とき”を刻む。私はこの空気、そして時をいつも感じながら人生を歩んで行きたいと思っている。
“空気”そして”時”は色んなさまざまな表情を作る。私は写真でも一枚の紙切れに写しだされている絵の中に通うさまざまな空気、そして表情が好きだ。私にとって写真は一枚の紙切れではなく立体感がありその中に通うさまざまな表情の記録だと思っている。そしてそういう写真が下手ながらも撮れたらいいな・・と思っている。落ち葉一つにも表情があるように・・・
この飾り、今は冷たい風にさらされて哀しそうな表情をしてるが、これがクリスマスの晩、今から買われていく家庭の窓に吊られ、暖かい家庭のぬくもりがこの飾りを照らし、クリスマスの晩をまた一つ演出してくれるのだろう・・・
ウィーンの街にはこうやって路上でおじいさんがお喋りをしながらオルゴールを回している風景をみる。これは色んなことを経験してきてご隠居されたおじいさんが回しているから味があるのだろう・・・これが若いまだピチピチ兄ちゃんが回してては意味がないのだと私は思う。