2019年の元旦

ウィーンでお友達や知り合いの家に遊びにおいでよ!と言われるとたとえ一時間のちょっとした時間でも意外や意外、みんな手作りのケーキなんかを作って待ってくれています。ってわけで昨日は昼過ぎに遊びに来るフェリックスファミリーに母ちゃん、朝いちからケーキ作り。あまり甘いものが好きでない、母ちゃん。ケーキ作りよりお酒のつまみ作る方が好きだな!そしてコーヒーより、泡の方が好きだなぁ・・・なんて。(笑)そして今日も、そして明後日も来客!!お菓子じゃなくて、お酒用意しといちゃ駄目??

さて大晦日夜中の3時半まではしゃいでいたのに、次の日のゆっくりと起きたもののチビ達は元気が有り余ってます!!ってわけで元旦から今度はスキー場に行ってきました。天気は一日あまりよくなかったのですが、一瞬だけ青空も少し顔を出してくれました。

旅の間、ずっとお天気が悪く、山の方は毎日吹雪いていることが多かったのですが、それでもこの二人にはお構いなし!! 昨日、夜中の3時半まで遊び回っていた子達には見えん。君たちの体力って?!

スピード魔のスカイはかなりのスピードを出してソリ滑り。大人でもかなりのスピードに怖くなるのですが、この方はキャッキャと大ハッスル!!

ルーべはソリ滑りだけじゃ物足りないらしく、今回はじめて自分からスキーをやりたい!!と言い、2.3時間ほどだけでしたが、スキーをくり子から習ってました。マイナス10度、そして吹雪きの中での始めての本格的なスキーに嫌気をさすのでは?と心配したのですが、本人はスキーが楽しいらしく何回も上っては上から滑ってました。

吹雪でほとんどのスキー場が閉鎖する中、やっているスキー場を探し当てて行くのはなかなか大変。最後の最後、駄目もとで行ったどこかの村のふもとでやっているリフトも一つだけという小さな子供スキー練習場が奇跡的にやっていて、ここでスキーをさせてもらえたのがルーべにとっては結果的によかったのかも。人も少なく、とてもなだらかなスキーコースを自分のペースで練習することで、スキーの恐怖心より、滑る楽しみを体験できたみたい。毎日スキーに行きたいと行っていたけれど、行けたのは結局2日だけ。後は吹雪きで視界が悪く体感温度はマイナス20度と書いてあったので断念。

そして元旦の日の夜はキッチンつきのアパートメントで一日遅れの年越しそばと子供達は釜揚げうどん。冷え切った体を年越しそばで体を温めます。(ここのキッチンには深めのスープ皿やお茶碗の大きさの器がなかったのが難点。)

今回の旅で外食したのは、旅一日目の夜一回だけ。あとは母ちゃんが3食とも毎日作りました。・・・と言っても昼はスキー場とかで食べるので、毎日色んなサンドイッチかホットドック。そして出かけ先から帰ってきたらまずはホテルの前のスーパーで夜の食材を買って、あとはゆっくりとみんなでくつろぎながら夜ごはん。ちょっとお金を節約しながらみんながリラックスして楽しい旅。それがこの最近の母ちゃんのモットー。その旅に大活躍してくれたのがこのお部屋でした。

ホテルよりずっと安いアパートメント。毎日お掃除に誰も部屋に入ってくれないし、食事はついてないけれど、その分部屋は広いし、誰もこの部屋に干渉しないので、自分達のプライベートは確実に確保される。小さい子どもを持つ親としては、アパートメントはかなり魅力的。パン切り包丁とお肉専用の包丁にも普通の包丁がもう一本あればもっと使い勝手がいいのに・・とか2.3点思うとことはありますが、それ以外は大満足のアパートメント。お世話になりました!!

 

 

 

何事もなくクリスマスを・・・

もう体も精神的にも限界が近づいている母ちゃん。だからできないものはしない・・・頑張りすぎない!!と心に誓ったのに、結局すべてをやってしまっている母ちゃん。本当の馬鹿です。来年はもう少し自分を見極める力をつけよう・・・。

さてまだ胃も頭痛もひどい母ちゃん。その原因の一つに先日書いた生徒のことが絶えず自分の中でひっかかっているはわかっている。2週間ほど前に生きる気力を失っていた彼に追い討ちをかけるように数日前に付き合っていた相手からも別れを告げられた。世の皆がクリスマスで浮かれている時に一人だけ取り残された気持ちになって変な気を起こしてしまわないかが心配でならない、

月曜日にじっくりと時間をかけて母ちゃんはその子の話に耳を傾けた。その後、幾分気持ちも楽になって症状がよくなったらしい。でも鬱病の次の日はわからないのが現実。2、3日に一度、どうしてるか?というメッセージを送ることを心がけている母ちゃん。小さい頃からいつも寂しい・・という気持ちが大きいこの生徒に対して、いつも心は寄り添っているよ!というメッセージだ。

この生徒の人生は複雑で、彼が赤ちゃんの時にお父さんは脳腫瘍で亡くなっている為、今までずっと母親と二人で暮らしてきたのだが、幼稚園の時から”何事も一人ですること”を母親からも祖母からも教育をされてきている為、小さい頃からすべてを一人でやってきた。そして泣くことも許されなかった環境に、彼は自然と何に関しても優等生でいるようになった。母ちゃんが始めてこの生徒に出会った時も、気遣い、振る舞い、そして努力家の彼に日本人と接しているのかと錯覚をしてしまうぐらい何に対しても長けている子だった。

でも彼が大学に入って2年ぐらいした頃から、母ちゃんは何かこの生徒に異変が起きているのを感じていた。今まであんなに熱心に音楽に取り組んでいたのに、(いやその時も一生懸命音楽に取り組んでいた)心がどこかに行ってしまっている感じがしてやまなかった。この頃から体調も頻繁に崩すことが多く、母ちゃんはほっとけなかった。そうこうしているうちにその子が自分から悩みを打ち明けてくれた。今まで誰にも言ったことがなく、今そのことを言おうとしている自分に震えていると言いながら・・・。

それは母ちゃんが想像を遥かに超えるものだった。彼が抱えているというのは”性同一性障害”だった。幼稚園の頃から自分は出世時に割り当てられた性別とは違う性の意識が高く、高校を卒業するまでそれを告白すると周りの友達がみんなショックを受けるから隠していたけれど、成人になった今、それを隠す必要があるのか?と自分に問いただした時に、今まで保ってきた心のバランスが崩れてしまったという告白だった。

今まで母親にも誰にも隠してきた。今はじめてこのことをここで打ち明けたという彼をどうやって守っていけばいいのか、その時の母ちゃんは自分の心臓の鼓動がすごく大きな音を立てて波打っていたのを今でも覚えている。母ちゃんが出会ったどのオーストリア人より細やかで女らしい気遣いができるこの生徒に(この時点ではこの生徒は女性。そう母ちゃんが初めて出会った時は15歳の女の子だった)母ちゃんは、彼がそう思い込んでいるだけなんだと思っていた。だからとりあえずその障害を専門にする専門科医のところに行くことを勧めた。それも1人じゃなくて、2,3人の先生のところに言って診断してもらうことを進めた。

結果は3人の先生とも100パーセント彼はその障害を持っていると診断した。そしてその後、母親、そして周りの人にも話し了解を得て、性を彼の本来の持っているものへと変換する手術をした。この障害を専門に扱う教授によると、性変換してもなかなか自分の思い描いていたものとは違うという感情が多いため、生涯にわたって苦しむことが多いという話を聞いて、それ以来ずっと心配してきた。そして彼が自分から何か言ってくると必ずそれに耳を傾けてきた。

今回彼が話した鬱病というのも幼少時代から違和感を感じていた自分の性が大いに関わっているのではないかと私自身は感じる。だから小さい頃から鬱病を患っているという診断結果にもつながっているのではないかと思う。幼少時代からの家庭環境だけでなく、色んなものがクモの巣のように複雑にからまりあって今に至っているんだと思うと、この出口が何処にあるのかわからない。

だけど彼自身が出口を探し、自分から解決策を模索すべく、色んな角度から治療を模索し、すべてを話してくれる今の状況を逃したくはない。ここで見放すと彼は自分の殻に入ってしまって二度と母ちゃんに、そして人に心を開いてくれないだろう・・・。そうはさせまい。

母ちゃんにできることなど何もないが、それでも母ちゃんは寄り添ってやりたい。生きることを諦めたら、もうそこで何もかもが終わりだ。そうは絶対させたくない・・・。どうか彼が、そして世界の人々が穏やかで平和にクリスマスが過ごせますように・・・心から願う毎日。

抱える課題

母ちゃん、先週末から珍しく体調を崩して弱っております。いつもなら1日もすればよくなるのに、今回はなんだか長引いていてなかなか元気がでないのですが、子供たちは元気。朝からソリすべりに行こうだの・・・サッカーをしよう・・・だの、母ちゃんついていけません!!

さてそんな弱っている母ちゃん、なんだかこの2,3日は胃までずっとシクシク痛い。これは体を壊しているせいなのか、今とても心配してることがあってそこから来てるのか・・・。

ここに書けば長い話になるのですが、母ちゃんが可愛がってきたある生徒が大学卒業を機に少しの間、ピアノから少し離れて休みたいと言った。15才の時に初めて母ちゃんのところに来て、弾いたこともないピアノを習いたいというところから始まり、二人三脚で猛特訓して3年後にはその年10倍の倍率のウィーン国立音楽大学にその子を入れ、大学卒業するまでずっと一緒にこの生徒とやってきた。残念ながら大学の教授とはうまいこといかず、卒業試験を前はその生徒も母ちゃんもとりあえず卒業することだけを目標に頑張ってきた。だから卒業試験に合格した時、その生徒が少し音楽から距離を置きたいという気持ちはよくわかったし、母ちゃんも少し休みたかった。その生徒は医学の方の勉強にも興味を持っていたので、そちらの勉強の方を少しやってみると言っていた。

3ヶ月経っても半年経っても卒業試験以来音沙汰ないことに、心配をしつつも、母ちゃんは日常の生活に追われていること、そしてあまりにも試験が大変だっただけに、まだ正直こちらからも連絡する気が起こらなかった。

でも試験半年前ぐらいからの彼の精神状態や行動に少し不安を感じていたのが、どんどんその心配が大きくなって、その子のことが頭から離れなくなった。何か嫌なことになってないだろうか・・・その心配から離れることができず、こちらから連絡をとってみた。

その生徒は母ちゃんからの連絡を凄く喜んでくれた。自分からも連絡をしたかったが、練習もろくにできてないのに連絡はできないと電話しないうちに時間が経ちすぎて気になりながらも出来ずじまいでいたらしい。

電話で話す彼の今の状態は母ちゃんが恐れていたそのものだった。音楽大学の卒業試験を抱えながら、夏に気分転換で勉強一つもせずにウィーン大学の難関の医学部に合格したような賢い子なのだが、音楽大学卒業してから、医学部の方に進むもののこの一年休学を医者から勧められたらしい。その理由がうつ病。家からでること、朝起きること、生きていることに不安を感じて、怖くて震えてきたり涙が出てきたりする状態がこの一年ぐらい続いたらしい。医学を勉強するうちに、自分はうつ病ではないか?何種類からあるうつ病でも、その中でも子供の頃から患っている鬱病なのではないか?と自分を疑い病院で検査を受けるとやはりそのとおりだったらしい。

専門家にかかり薬や色んな療法を試みるも効果はあまりないようで、2週間ほど前には命を絶ちたい・・・と思う気持ちが大きくなり医者にそれを話した所、薬の今まで以上にきついものになり、今それで様子を見てるところという話だった。

正義感が強く、聡明で、繊細な心を持つその生徒は、誰にでも自分の話をできる子ではなく、なかなか自分のことを話すのが苦手な子だ。それが何故か昔から母ちゃんにだけは心を開けていろんな話をしてくれる。だからこそ母ちゃんもこの子の力になりたいと思い、二人三脚でやってきたのかもしれない。

だからこそその生徒がまた母ちゃんに心を開いてくれているのであれば、母ちゃんはこの子の話を少しでも聞いてやりたい。母ちゃんの義姉が同じ病気で何年も家族で苦しんで、ある時は警察、そして精神病院、リハビリ施設・・色んなところにお世話になったがそれでも彼女は回復の兆しはないし、彼女の場合はもう社会復帰は難しいだろう・・・。身近に同じ病気を抱えた親族を持つものとして、鬱病という病気が、そんな簡単に治るものでも助けてあげられるものでもないのはわかっている。だからこの子を助けようなんて思わない。助けられるなんて思っていない。ただ心に寄り添って話を聞いてあげることしか母ちゃんにはできない。そしてこの子に抱える問題がどれだけ複雑でその絡み合った糸から出口を見つけるのが大変なのかも母ちゃんが想像するよりも実際ははるかに大きい。そのこともすべて含めて母ちゃんはこの子が社会復帰できるように寄り添ってやりたいと思う。つづく・・・・。