Zwettel・・・何故、クリ子が嵐のFreistadtの後にこの街を選んだのかは知らないし、聞きもしない。それが私達のルールなのだ。彼がここかここかどっちがいい?と聞いてきたらその街について聞いてみたりするが、それでない限り彼がここと決めたら何も言わずにオーケー!と返事をすることにしている。
その街がどんなところか、何があるかは行ってから自分で目で確かめればいいことだし、行く前にとやかく色んなことを聞かれるときっと男として嫌だろうと私の推測により、いつも彼が選択肢を私に与えない時は彼に素直に従うことにしている。
そして何の知識なしにその街にいきなり身を投げ出してみるのも楽しいものである。何の知識も先入観もなしに何も知らされずその街に行くと自分なりの感じ方、そして想像が広がる。これって大切なことなのよね。今や情報が飛び交う世の中、何も知らずにあるところに飛び込んで自分の感覚と知識でその今いる状況を判断するって。
たとえばこの街、家の造りをみて自分なりにどれぐらい昔に出来た街か想像してみる。建物の建て方のスタイル、そして色使いなど色んなところからその時代のことが想像できる。その時代が想像できるのには有る適度、建築物やその時代にあった時代背景などが頭に入っているからであり、それと照らし合わせてきっとこれぐらいの建築物だろうと想像する。そういう建物がその街に多いということはそれが、この街が作られた、それか何かの事情によって再建されたものだと想像できる。そして後になってこの街が自分が思っていたより100年、200年と違ったリするとホッホ~とどこか好奇心がますます沸いてくる。
あのね、この街にはね、フランスのストラスブールで見たような屋根の上に小さい窓がいろんなところにあったのよ。そしてこのレストランなんかはチェコのクルムロフでみたような建物の表向きだけ立派に建ててあって、実は後ろはタダの小さい家だったりね。ヨーロッパって大きいようで小さくて、昔は時代背景によって色んな国に色んな国が占領されていたりするからその時に入ってきた文化や外国の歴史、技術が色んな国で見ることができるのよね。
ちょっとしたオーストリアの小さい目立たない村を見ていても、この村の歴史背景がこの街並みから会話見られてとっても楽しい。
おまけ・・・実は今週の月曜日にオーストリアの国営テレビ、ORFの番組に例の撮影された映像が放映されていたそうな。テレビ局の人からは放映される前にご連絡差し上げます~!ってな感じだったのに、全然連絡が来ないからきっとUEFAカップに持っていかれたな!なんて思っていたら、いやいや知らん間に放映されていたそうな。当の番組の収録に関わった4人は感心も薄れ、誰一人としてその自分達の映像が映し出された番組を見てないし、録画もしていない。ただ色んな人からテレビに出ていたでしょう・・・と言われるとちょっとぎこちない気分になる。だって自分達はその映像みてないだもん。一体どういう風に放映されたのか興味があるけれどそれは後の祭り。知っている人があまり見ていないことを祈るしかない。