昨日、気分転換にクリ子と二人でまたまた散歩がてら市庁舎のフィルムフェスティバルに行ってきた。
このパターン、花キンには持ってこいで気に入ってます。夜の20時に仕事上がってそれから急いで二人で市庁舎まで歩く。市庁舎まで約30分の道のりだがいい運動になってなんだか爽快な気持ちになれる。
私が観てみたかった演奏会は、カラヤン生誕100周年コンサート。今年でカラヤン生誕100周年を迎えた。それにちなんでウィーンではさまざまな演奏会が催された。そしてその一つがカラヤンによって13歳の少女が才能を見出され、世に羽ばたいたアンネ・ゾフィー ムッター。幼少の頃から音楽の才能が光っていた彼女はカラヤンによって彼女が13歳の時、ベルリンフィルと共演をし、一躍世界に彼女の名前をとどろかせた。
カラヤンによって世界的なヴァイオリニストとして有名になった彼女はこの日、カラヤンによって指揮の手ほどきを受けた小澤征爾の指揮、ベルリンフィルの演奏でベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトを演奏した。
彼女の持つ音楽性、そして音色、そしてフレーズ、テクニック共に大変素晴らしい。今度は是非、生で彼女の演奏を是非、聴きたい。そう思わせる演奏だった。そしてよく楽器がなっていた。彼女のヴァイオリンにもすごい感心がいくぐらい豊かな音色だった。
そして後半はチャイコフスキーの交響曲6番 ”悲愴”。この演奏を聴いて不覚にも泣いてしまった。これは彼の最後の大作でありうつ病で苦しんでいた彼が持つ内面的な心を表現したのじゃないか?と思われるぐらいとても心に奥深くずしんとくる交響曲だ。
精神的に参っている人はこれを聴くと自殺まで追い込まれてしまうという実験結果がドイツの精神科医によって発表されているが、私はその反対だった。この演奏を聴きながら、私は今、こうやって演奏をここで聞いていることに幸せを感じ泣いてしまったのだ。この2週間ほど、体調も精神的にも参っていて何もしていなくてもポロポロと涙があふれ、色んな意味で自分を追い込んだ。
だけどこの演奏を聴いて、横で一緒にこうやって仕事から早く帰ってきて、体を動かしたいという私に付き合い、疲れているはずのクリ子は何一つ言わず嬉しそうに私と一緒に街まで散歩をし、今横でこうやって一緒に音楽を聴いてくれている。こうやって何も言わずに一緒に私と時間を過ごしてくれ、一緒にその時間を楽しんでくれる彼といれることに幸せを感じなくちゃいけないんだ。とそれ以上のことを望んでいた私はこの時、置き去りになっていた本来の幸せというものを感じ取ることができたのだ。
彼はいつも私のすることに何も言わない。そして私の好きなようにさせてくれる。そしていつも私との時間を大切にし、そこにいろんなものを見出してくれている。彼の笑顔と奥深いふところ、それだけで私は幸せじゃないか!とそんな気持ちにさせてくれたのがこの演奏だった。
音楽を聴きながら涙を流す私に対し、見て見ぬふりをしずっと手をさすってくれている彼はやっぱり私の最高の相棒です。それに気づかせてくれたのが音楽だった。
やっぱり私にとって音楽の力はすごいし、クリ子の心の偉大さを気づかせてくれた昨日は私にとって意味のある一夜でした。