やっと明日から学校

ウィーンのテロ事件の後、厳しいロックダウン政策が出されこの三週間はすべての幼稚園、学校、大学は休校。そして最低限の日常生活に必要なスーパーマーケットや銀行、郵便局以外はすべて営業禁止されてました。3月のロックダウンの時はスーパーでお花やちょっとした玩具なんかは買えたのですが、今回はそれも生活必需品ではないということでスーパーから撤去されていました。そんなロックダウンが今日で終わり。明日から学校や商店などはまたいつもの日常へ戻ります。

11月初旬の新型コロナウィルスの感染者数から見ると、厳しいロックダウンはどうしてもやらなくてはいけない政策だと分かっていても、この3週間家事に子供のホームスクーリング、オンラインでの母ちゃんの仕事などなどやることはいっぱいで、最後の一週間はしんどいものがありました。それだけにこの3週間の政策でコロナの患者数や死者数がグンと減ったこと。そして明日から幼稚園も学校も始まってくれることにホッとしています。(この花束はロックダウンが始まる前日に仕事帰りに花屋さんに寄ったら、次の日からお店を閉めなくちゃいけないから、もらってもらえると嬉しい・・・と言われて頂いたもの)

厳しいロックダウンが始まる前の最後の週末は週に何回も会うお友達家族と我が家で和食パーティー。

ヨーロッパ人家族なのですが、日本食とジブリの映画がとても好きな家族。お寿司と餃子の作り方が知りたいというので、今回は子供たちも一緒にみんなでお料理教室。餃子も握りも巻きもすべて子供たちとお友達のお母さんが頑張って作ってくれました。(ついでに盛り付けも!)ここで母ちゃんが手出しをすると作る工程が分からなくなって、家で作ってもらえないような気がしたので、母ちゃんは一つだけ見本を見せるだけで後はすべて皆さんにお任せしました。見かけはなかなかユニークなものもありましたが、味はどれも日本の家庭で作るオリジナルに近い味でどれも最高に美味しかった!

この三週間、くり子も自宅で仕事をしていたので、2週間ほど過ぎた頃から料理の献立が思い浮かばず、週末の一食ぐらいは楽をさせてもらおうと最後の2週間は日曜日の昼ごはんだけ毎週テイクアウトをお願いして、母ちゃんのストレスを軽減させてもらいました。

今回のロックダウンでは公園は開いていたので、昼過ぎまで勉強をさせ、毎日15時から18時まで最高気温が0度にならない日なんていう日も多々ありましたが、公園でいっぱい遊びました。家に帰ってきた頃にはもう足がギブスて固定されたかのように凍り付いて、毎日暖炉で氷のように固まった足を暖めてから料理を作ったのも今やいい思い出です。

子供たちと四六時中向き合った今回のロックダウン。母親業は大変でしたが、充実した時間が過ごせて子供たちの生き生きとした笑顔がいっぱい見ることができた3週間でした。

さぁ~明日から少しずつ生活が動きだします!やはり気がパァ~と晴れるようにまずはお花屋さんに大きなポインセチアでも買いにいこう~!!!

身近で起こったテロ

どんどん生きづらくなってきている世の中。オーストリアも他のヨーロッパの国同様に毎日目を疑うような数で新コロナ感染者が増えていて、火曜日から始まったロックダウンは来週には規制が厳しくなっていくのではないかと思っている母ちゃん。テロのこともあり世の中は一体どの方向に向かって進んでいるんだろう・・・とぽか~んと空に向かって問いかける毎日です。

ウィーンで起こったテロから明日で一週間。日が経つごとにすごく身近で起こったことと感じられずにはいられません。実際テロがあった時間は母ちゃんは仕事先で仕事を終えた後、明日からロックダウンが始まるからと今日は最後の日だから一杯ワインでも飲んで帰らない?と勧められてそこでワインをご馳走になっていた母ちゃん。20時半すぎにそこの旦那さんから電話がかかってきて”テロが起こった!!今日はいつ帰れるかわからない!!”という電話が入り、母ちゃんも急いで家に帰ったのですが、昨日改めて聞いてみると、まさに現場。銃撃があった現場数十メートルのお店で同僚と飲んでいた彼。(このブログでも何度か出てきたことのある司法の仕事をしていて家族ぐるみでの付き合いがあります。)始めは明日からロックダウンだから若者が爆竹騒ぎでもしてるのかと思ったら、それがあまりにも長く、そのあとすぐに警察官がやってきて、今すぐお店の扉、窓の鍵を閉めて!そしてここから一歩もでないように!!と言われ、ずっと不安な状態で日が変わるのを待ったとのことでした。それだけでも十分恐怖を感じたのに、今度は毎週家のお掃除をお願いしているミヒャエラの妹がその現場に居て、ありとあらゆるすべてを目撃して、逃げ込んだバー店内に今度は息をつく間もなく特殊部隊が突入してきて、今度は全員壁に向かって両手をあげろ!!!と銃をむけられ、身体検査をうけた・・・など映画でしか見たことのないことがそこで起こってました。この妹さんの今の精神状態を考えると頭が想像することを拒否してしまうぐらいもうどうにも表現できない感情に襲われます。極めつけは教鞭をとっている生徒さんから亡くなった女の子を知っているのよ。実は教え子だったのよ・・・という話を聞いたときは、もう本当に何の言葉が出てこなくてただ涙がこぼれました。今でもこうやってブログを書いている今も涙が溢れます。

母さんはそんな知り合いが多い方ではありません。どちらかというと外国人ということもあり少ないです。それなのに毎日のようにこんな話を聞くと、いかに自分の身近で起こったものだったのかということを痛感させられずにはいられません。穏やかなウィーンが・・・という前に本当に世界はどっちの方向に向かって進んでいるのか???それを考える毎日です。宗教、移民、色々なことが絡みに絡み合って複雑になっている今の世界。色んな感情がこの数日めまぐるしく襲ってきて、いつも外に行くときは身構え、どこか背中に緊張が走った状態で、夜もしっかり寝れない毎日をみんなが送っています。

最後にこんな状況の中、先日この映像を見て、涙がしずかにひたたり落ちました。(テロが起こった当時、国立オペラ座では上演がされており、テロが起こってもそのまま最後まで上演したそうです。そして終演後、子供連れから順番に家路につくように警察が先導したらしいのですが、その間ずっと深夜になってもまだオペラ座の中で待機させられている観客に少しでも不安を紛らわしてもらおうと、公演が終わって家路に着くために私服に着替えたウィーンフィルの楽員がオーケストラピットに戻ってきて演奏を奏でてくれたそうです。)

ウィーンの魂は決して消えない。死なない。

少し落ち着きを戻してきました

治安がよくて穏やかで住みやすい都市の上位に選ばれてきたウィーン。そんなウィーンで先日テロがありました。テロがあった時間、母さんはまだ仕事中で外出先でした。まだテロの情報が錯乱する中で急いで家に帰ってくる道中もパトカーやサイレンの音で只事ではないことがわかりました。眠れない夜を過ごし、次の日は学校も幼稚園も休校になり市民みんなが不安な日を過ごしました。この日から二度目のロックダウンもはじまり、みんなの心が疲れ果て、しんどい数日を過ごしてます。テロの詳細が少しずつ解明されてきて、街は少しずつ落ち着きを戻してきています。子供たちは普通に学校にまた通えるようになり、コロナとテロの不安を抱えつつも笑顔をみせてくれています。心配をして下さったみなさん、少しずつウィーンの人たちは平常心を取り戻して、コロナやテロを警戒しつつも普通の日常を過ごせるようになってきたました。私達のことを心にかけて下さりありがとうございました。皆さんに心配をかけたくなくて、とりあえずご報告までにブログをアップさせて頂きます。

世界が平和をまた取り戻せる日がくることを願って・・・・。